2ntブログ
2007/12/03

パチスロにはまった過程6

ドンちゃん2を打ち込むようになってから、A400タイプにどっぷりはまっていった。アルゼと山佐の機種は本当に面白くて、好きだった。

ドン2より以前の機種も打ち込むようになったし、新台にも果敢に挑戦した。花火、サンダーV、タイムクロス、コングダム、ハイパーラッシュ、カンフーレディ。Aタイプ以外では、アステカとデルソルもだいぶ打った。名前を思い出すだけで、何か燃えてた頃の思い出がよみがえる。

ただし、収支は常にマイナス。打てば打つほどマイナスが増えて行った。

ちょうど大江戸桜吹雪が流行ってた頃、骨折したことがあった。手術して一週間くらい入院してたんだけど、パチスロ禁断症状が出て、退院したその日に病院からパチスロ屋に直行した。慣れない松葉杖で、歩くのもやっとなのに。今考えると病気だ。

で、その日は大江戸桜吹雪で大勝して7万円を換金。それが、人生で最初の大勝だった。次の日も、なぜか5万くらい勝って、一気に10万以上の大金を手に入れた。「これで、歩けるようになるまで、バイトしないで生きていけるぜ」と思った。

が、結局その10万円は次の3日で店に飲み込まれることになる。パチスロでいくら儲けても、結局それは次の軍資金になるだけだ、ということを痛感した一週間だった。

というよりも、松葉杖をつきながらパチスロに通うような大学生活をしてたと思うと恥だ。

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2007/12/01

パチスロにはまった過程5

最初にはまった機種はアルゼのどんちゃん2だった。ある程度目押しもできるようになってたし、リプレイ外しをして子役を取りこぼさなきゃ勝てると、変な自信ができてたころだった。

この機種は、朝一のチェリー確率で設定変更の有無が推測できるとか、ビック中のチェリーとベルの複合子役とか、攻略してる感がある機種だった。花火の遺伝子だけあって、ゲーム性も面白かった。

ビタ押しはできなかったので、ビックボーナス中は空回しで複合役をとってた。複合子役を狙わないやつを見ながら、こいつらはなんて馬鹿なんだろうとちょっと優越感に浸りながら、自然にリールがストップするまで40秒間待った。小さい人間だ。

どん2の朝一設定変更判別のおかげで、朝一からパチンコ屋に並ぶ癖ができてしまった。当然大学の午前中の授業は全滅した。

このころの収入は、奨学金が月5万円、アルバイトで5、6万円だった。そのころから、普通の人が使うような、服を買ったり、旅行に行ったりという一般的なお金の使い方はしなくなった。月10万円前後を必要最低限の出費以外はパチスロに費やすようになった。

こうやって昔の思い出を書くのは楽しいんだけど、思い出すのは半分以上パチスロの思い出だ。もしパチスロをやってなければ、普通の思い出が倍あると思うと、本当に残念。

勉強のための奨学金はパチスロ屋に消えていった。本当に必要な人に対して申し訳ない。奨学金は後10年くらい返し続けなきゃいけない。

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2007/11/29

パチスロにはまった過程4

パチスロでうまく立ち回れれば勝てると錯覚して、パチスロの勉強(?)ばかりしていたとき、
現役設定師によるパチスロ必勝法というホームページを熟読するようになった。

いまだにあるのにびっくりしたけど、あのころはこのページを夜な夜な訪問して読みふけっていた。で、このページには毎月パチンコ屋が出す日とか回収する日とかが書いてあって、出すと書いてあった日には、大学の授業をサボって朝から通うようになってしまった。

今思うと、全国共通でパチンコ屋が出す日なんてあるはずもなく、こんなのを参考にして勝とうと思っていたのはあきれる。

はじめて朝からパチンコ屋に並んだのは、土曜日か日曜日だった。最初は大学をサボってまで打つ気はなかった。

機種は山佐の「アラベスク」だった。目押しやリプレイ外しも出来なかったけど、開店から閉店まで打ち続けて、1万円くらい買った気がする。廃人への第一歩を歩んでるんだけど、あの頃の4号機はたしかに楽しかった。AT全盛期なんかは、レバーをたたくたびにいらいらしてたけど、この頃はまだ勝っても負けても打ってて楽しかった。

アラベスクを打ったときは、子役はずれの熱さなんてわかってないから、4thリールに魔人みたいな奴の全身の姿が出てくる、確定演出を待ち続けてた。リールが停止するたびに足元から徐々に魔人の姿が現れて、第3リール停止で全身が現れたらボーナス確定って演出だったと思う。一日中打って右手が筋肉痛になった覚えがある。

その日から、平日も開店前からパチンコ屋に並ぶようになるまでは、ほとんど時間がかからなかった。

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2007/11/26

パチスロにはまった過程3

パチスロを始めたころ、ちょうど深夜のコンビニでバイトを始めた。運悪くそこのバイトの先輩がかなりのパチスロマニアだった。

僕が働き始めたコンビニは流行ってなかったので、深夜は基本的に一人で仕事をする。入ったばかりのバイトは教育のため、三回くらい先輩と一緒にシフトに入って仕事を教えてもらうことになっていた。そのうちの一日がそのパチスロマニアの先輩と一緒だった。

一晩中パチスロ談義を聞かされ、勝てると洗脳された。で、一番の影響はパチスロ雑誌の読み方を教えてもらったことだ。

そのコンビニは一人で、しかも暇なので客がぜんぜん来ない。で、深夜はずっと売り物の雑誌を読み放題。というわけで、僕はそのバイトで数あるパチスロ雑誌を読み漁るようになった。しかも時間は売るほどあるので、すみからすみまで読むようになった。月曜のバイトの際に雑誌を持って帰って、水曜のバイトの際に返却するとか言う、荒業も習得した。

で、パチスロの知識はどんどん増えていった。高設定を見抜いて、子役を取りこぼさず、リプレイはずしで獲得枚数をアップさせる、などなど必勝法らしきものをどんどん習得していった。

ただこのころは、まだ紙面での知識で、実戦で試すほどではなかった。
本で身につけた知識で、本気で勝ちを目指すようになった僕は、ひとつの目標を立てた。
「留学費用をためよう」
留学して海外で生活するのはひとつの夢だった。本当に馬鹿だ。あそこで、パチスロでお金を稼ごうとか思わず、ちゃんと勉強して親になきついてでも、お金を借りて留学していれば、今頃人生は変わってた。今思うと、20代後半で貯金もなく、借金を抱えることになる素質十分だ。

その後、このホームページに出会い、学生生活の大部分を棒に振ることになる。

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2007/11/26

パチスロにはまった過程2

初めてパチンコ屋に足を踏み入れて、初代ルパン三世のビックボーナスでコインを出し続けるばばあというショッキングなシーンを目撃してから、半年以上はパチンコ屋に近づくこともなかった。

そのころは大学生になってはじめての彼女も出来て、サークル活動なんかもして、充実した日々を送っていた。

年が明けて数ヶ月たって、二十歳になる直前、彼女に振られて、学生生活にも慣れてきて、飽きてきて、暇をもてあますようになった。そのころから暇つぶしにちょくちょく近所のパチンコ屋に行ってみるようになった。

初めはお小遣いを稼ごうという気楽な考えだった。もしタイムマシーンがあって、そのころに戻れるなら、パチンコ屋に入ろうとする僕を殴り倒して、小一時間説教を食らわせるんだけど、残念ながら未来の僕はそこには現れない。

初めて打った機種はぜんぜん覚えてない。気づいたときに打ってたのは、ベルコの「捕り物帳」だった。この機種は、0枚子役みたいなのがそろえば、デジタルが回って、777がそろえばビック確定という初心者にわかりやすい機種だった。

ビンゴとかが出てから変わったけど、昔のベルコの島はじじいばばあの巣窟で、20歳前後の僕は老人ホームのような島で浮きまくりながら打ってた。わけがわからないなりにも、デジタルの回転は興奮したし、確か確率も低くて当たりやすかったと思う。

最初は、3000円を持っていって、それがなくなればやめて帰り、出れば多少粘って5000?6000円を換金するような感じで、ちょっと高いゲーセンみたいな感覚だった。

そこでやめとけばよかったんだけど、そのころの僕は無謀な計画を立てて、どんどんのめりこんでいくことになって行く。

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